新勧活動の相次ぐ失敗。現役部員たった3名まで減った京大狂言会。最後の狂言となるかとも思われた「武悪」。
次回プロジェクトX「京大狂言会を存続させよ」
ご期待ください。

(エーックス・・・ )
昭和61(1986)年4月。京大教養部(現総合人間学部)の一室。
京大狂言会は、今年も新人を確保できなかった。
(映像:わずか数枚張られた「新勧ビラ」)
(映像:「狂言会説明会」と黒板に書かれた、空っぽの教室)
狂言会は、全員が3回生以上の、実質3名が活動する消滅寸前のサークルとなった。
これは、消滅寸前までいった京大狂言会を復活させた、男たちの物語である。

プロジェクトX〜挑戦者たち〜「京大狂言会を存続させよ」

♪すなのなかのすーばるー
「新勧の失敗」
N裂の実質的引退」
♪ほしのなかのぎんがー
「順調に新入生を勧誘する同志社」
「見学に来ても他会に奪われる1回生」
♪みんなどこへいったー
「『またボクが新勧委員ですか?』というN駄
♪ちじょうにあるほしをーひとはおぼえーていない
「『夏は休むから』という松N
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(クボジュン)
今夜のプロジェクトXは、消滅寸前までいった京大狂言会を復活させた、男たちの物語です。
それでは当時の様子を振り返ってみましょう。

(ナレーター)
昭和61(1986)年4月。京大教養部(現総合人間学部)の一室。
京大狂言会は、今年も新人を確保できなかった。
(再映像:わずか数枚張られた「新勧ビラ」)
(再映像:「狂言会説明会」と黒板に書かれた、空っぽの教室)
狂言会は、全員が3回生以上の、実質3名が活動するサークルとなった。
もはや消滅するのも、時間の問題だと、考えられていた。

(クボジュン)
ゲストをお招きします。OBとして京大狂言会の活動を長年見守り続けていらっしゃったI党さんです。
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(I党さん)
N駄くん以降、京大には新人が入らなくてね、同志社には順調に入っていたからKGKKは続くものの、 私はやはり京大の出身だし、日曜日の稽古場の問題もあるし、京大狂言会には是非続いて欲しかったんですが。 連続して2年間入らないので、かなりの危機感がありましたね。
(国井)
新入生が見学に来たことはあったんですか?
(I党さん)
そう、毎年1、2名は来ました。でも、結局入ってくれなかったんですよ。 その上医学部の勉強が忙しくなったN裂は昭和61年の三大学で引退を決めていましてね……。

(クボジュン)
春からは実質3名になる京大狂言会。しかしその年の新勧活動でも、新人を得ることには失敗したのです。

(ナレーター)
昭和61年春の「三大学狂言会」。もともと飯沢匡に対する興味から狂言に関心を持ったという松Nは、 飯沢原作の「濯ぎ川」を演じた後、「試験勉強もあるので夏の会は休みたい」と言いだした。
(映像:「濯ぎ川」。妻を演ずるT打、川を流れるシーンで橋掛りの柱に後頭部をぶつける。「ゴン」という鈍い音)
この事態を憂いていた男がいた。3回生のN駄だった。
狂言をちゃんと演じたい。
N駄は、型が綺麗になるよう、小舞の稽古に力を入れた。
(映像:同志社BOXの鏡の前で型の練習をするN駄。向こう側には同志社4人娘。流れ落ちる汗)
夏前に、N駄木村師と学生能で何を出すか相談した。 「京大は3人しかいないし、しかも2人は卒業生だし、「武悪」で決まりだろう」といわれた。

秋になると、松Nが帰ってきた。院試がどうなるかはわからないが、とりあえず東京の某省から内定をもらったといっていた。
不安の中、「武悪」の稽古が、始まった。

(映像:同志社BOXにおける「武悪」の稽古。10月に入ったというのに相変わらず台本が手放せない松N
(映像:京大BOXにおける「武悪」の稽古。「武悪、覚悟!」とN駄の持つ竹刀はタイミングを外し H雄のふくらはぎに命中)
「武悪」は難曲であった。毎週のように木村師からは罵声が飛んだ。はたして舞台に立てるか、皆が、危ぶんだ。

そして、11月が来た。

(クボジュン)
ここでもう1人のゲストをお招きします。この「武悪」で「武悪」を演じられたH雄さんです。
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(国井)
これ、H雄さんにお持ちいただいた当時の「学生能」のパンフレットなんですが、最後に各会の名簿と写真があるんですけれど、 狂言会だけ1人1人が大きく写ってますねー。
(映像:4人だけの集合写真「いとしのオールドボーイズ 狂言会」)
H雄さん)
なにしろ4人ですからねえ。 他の会は写真を取るためにわざわざ日時を決めて集まったと聞きましたが、 うちはほとんどその場で集合写真をとったような気がします。
(国井)
ところで、その「武悪」ですが。
H雄さん)
「武悪」で4回生の我々2人を主と武悪、3回生のN駄くんを太郎冠者というのは、 木村先生の判断だったと思います。 太郎は、とりあえず出ずっぱりですから、N駄くんにしかできないと考えられたのでしょう。 でも、あの時はN駄くんも実行委員ということで忙しかったし、本当に大変だったと思います。
(国井)
当時のメンバーにとって、ほぼ限界に近い狂言だったということですか?
H雄さん)
ええ。
(クボジュン)
それが、いくつかのミスにつながったということでしょうか?
H雄さん)
そうかも、しれませんねえ。

(クボジュン)
ここで、学生能当日の貴重なビデオを見てみましょう。

(映像:観世会館の橋掛りを歩み始める松N(主)。「誰そ居るかヤイ」)
(映像:「ていど、お往きゃるまいか」と太郎冠者(N駄)に 太刀を抜きながら迫る松N。 しかし太刀は返されておらず、実はそれ以上抜けない)
(映像:道行するN駄。「彼方が良ければ此方が良しし。」流れ落ちる汗)

(ナレーター)
いくつかの失敗もあり、本人たちには決して満足できる出来ではなかった「武悪」だが、見た人からの評判は予想外にも高かった。 あの狂言を見て狂言をしたくなったという音大生まで現れた。 他の会からも「狂言会はつぶすな」という声が出た。「狂言をしたい」という新人があらわれた場合は、 ちゃんと狂言会に引き渡そうという話となった。
大学院進学後狂言を続けるかどうか悩んでいた松Nは思った。もう少し狂言を続けてみよう。
3人は思った。来年は新勧をちゃんとやろう。

(映像:翌年の新勧風景。 掲示板を埋め尽くす「狂言会新人募集」のビラ(白)と「三大学狂言会」の番組(オレンジ色の上質紙)は市松模様)
(映像:「あのーぉ、狂言会の方ですか?」と、説明会会場の教室で3人に声をかけてきたK囃子少年)

(ナレーター)
翌年4月の三大学狂言会、いつものように舞台の後は齋館でビールを飲みながらの反省会が始まった。 木村師から「今年は京大にも新人がいるらしいね、まずは挨拶」と声がかかった。 「えー、ボクはまだ、入ると決めたわけではないんですが……」と K囃子少年が立ち上がった。「続いて、
M婆くん」と声がかかり、2人目も立ち上がった。みんなが、笑った。

…【途中省略】…

N駄もまた、狂言を続けている。この春は「那須之語」を披いた。汗が出るのは、学 生時代と同じであった。
(映像:三大学狂言会で「那須之語」を演ずるN駄
大学時代の途中で狂言の稽古をやめていたM婆も、最近復活した。勤めだして十数 年、少し狂言向きの体型になったようだ。
(映像:東京の稽古場で「附子」の稽古をするM婆
京大狂言会は、現在十数名の会員を有する。「能と狂言の会」パンフレットには、各 会の部員の集合写真が載っているが、ここ数年のパンフレットでは狂言会と他会との 区別がつかないほどの人数である。また、女子会員の数も増え、「男たちの物語」はもはや過去のものとなった。

(クボジュン)
このあと、エンディングの物語へと続きます。

(ナレーター)
3年ぶりに入った新人であるK囃子少年は、卒業公演で「木六駄」を出した。 学生狂言会始まって以来の難曲である。 3年間待ち続けた京大狂言会は、超大型新人を得たのであった。
松Nは、その後もさぼりさぼり狂言を続けている。台本が手からなかなか離れないのは、学生時代と同じであった。
(映像:大阪の稽古風景。Yシャツ姿の松Nの手に台本)
N駄もまた、狂言を続けている。 この春は「那須之語」を披いた。汗が出るのは、学生時代と同じであった。
(映像:三大学狂言会で「那須之語」を演ずるN駄
京大狂言会は、現在十数名の会員を有する。「能と狂言の会」パンフレットには、各会の部員の集合写真が載っているが、 ここ数年のパンフレットでは狂言会と他会との区別がつかないほどの人数である。 また、女子会員の数も増え、「男たちの物語」はもはや過去のものとなった。
(映像:昨年パンフレットの集合写真「もっときつく 狂言会」)

♪ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない
♪ヘッドライト・テールライト 旅はまだ終わらない・・・・

[この番組は、相当無茶苦茶なデフォルメがなされていますが、実は少しは事実に基づいたものです]

 

注: なぞの2ちゃんねらーさんの投稿を元に、管理人が勝手に手を加えました。

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