分 類:聟女狂言 夫婦物
登場人物:太郎、女、連歌の亭主、太郎冠者、立衆
あらすじ
狂言「千切木」は、連歌の集まりの当(お世話の当番のようなもの)にあたっている亭主が、 太郎冠者に命じて町の衆を呼びに行かせる場面から始まります。町の衆も大勢集まり連歌の会を 始めたばかりのとき、亭主の家に「太郎」が押しかけます。
この「太郎」は、今迄は連歌の集まりに呼ばれていたのですが、何かと口うるさく言う太郎を いずれも敬遠して、今回は呼ばなかったのです。太郎は仲間外れにしたことに文句を言い、 真ん中の席を陣取ってすっかり宗匠気取り。出席者に連歌の始めの「発句」を要求し、花の活け方 や掛け軸のかけ方にまで難癖を付けます。亭主が料理ができたら知らせるので勝手に行っていよと 言っても聞かず、参会者の我慢も限界に達して、皆で太郎を袋叩きにしてしまいます。
こてんぱんにやられた太郎。するとそこに噂を聴いた太郎の女房が慌てて駆けつけます太郎を起 こしてみると着物の袖には足跡がついており、確かに夫はやられた様子です。渋る太郎に、 「討ち果たしに行かないなら家に入れない」とまで言い、太郎は仕方なく仕返しに行くことになります。
女房が持ってきた刀と棒を携え、女房についてきてもらって、まず今日の当の亭主のもとに向かいます。 亭主の家についても、恐くて家の前でびくびくしていた太郎ですが、留守と聞いて俄然元気になり、 棒を振りまわして気勢を上げます。次に町の衆の一人の家に行き、同じように留守であったことから 今度は刀を振り回して自分の腕前を誇示します。留守のときにそのように強がっても役に立たないと、 女房に突っ込まれながら、残りの衆は皆労ってくれたということにして仕返しはこれで終了。 事の顛末を歌って舞って無事にこの狂言は終わりを迎えます。
この狂言の前半の見所は、連歌の集まりです。私たちが日本文化と考える茶・花・書画・料理などは、 中世の寄合(よりあい)の場で成立・発展したものが多く、連歌もその一つです。 連歌はその場の連中が共同で創作を行う遊戯性と座興性に特色があり、寄合の場そのものが必要で、 この時代「地下(じげ)」と呼ばれる庶民層にも広く浸透しました。「千切木」の中には町衆の手にも 届くようになった寄合文化が様々に描かれています。連歌の場には、花や掛け軸などの飾りがなされ、 連歌の会が終われば料理が出されます。振る舞いの前後には茶も振る舞われていたことでしょう。 中世の人々の姿や楽しみを生き生きと描き出す場面をとくとご覧ください。
後半の見所は、やはり太郎と女房の掛け合いです。太郎を叱咤激励する気の強い女房や、 居留守を使われたとたん元気になる太郎の態度が笑いを誘います。この女房は太郎に、 自分を痛めつけた人々に仕返しに行くよう散々けしかけますが、太郎を見限るようなことはしません。 強がる太郎をほれぼれとみつめ、「いとしの人」と呼びかける姿は、普段はおそらく口うるさい「わわしい」女 であっても、心の底には太郎に対する深い愛情があるのだと感じられます。 私も同じ女性としまして、このような女性はある意味理想だと思いますが、皆さんはどう思われるでしょうか。
曲名の「千切木」の由来は、乳の高さ程度の長さであることから「乳切木」とも書く、 太郎が武器にする担い棒のことであるという説、「諍い果てての千切木」、つまり時機に遅れて役立たずと いう意味の諺から取られたという説などがあるようです。
演じてみて
主人公(シテ)の「太郎」を演じましたが、私は太郎の奥さんである「女」が大好きです。
個人的に思い入れがあるせいか、後半奥さんの叱咤激励にびびって嫌々ながら
連歌の亭主のうちをたずねたり、居留守を使われて安心して虚勢を張って奥さんに
あきれられたりしても、「ぼく、奥さん大好きなの〜!!」と心の中でずっと思っていて、
演じていてもそれが現れていたのではないかと思います。
男性が「太郎」役をやられる時は奥さんに対する心構え?がきっと違うでしょう。
結果的に私はいつも奥さんを見てにこにこしているアホな旦那でした。
やっているときは前半と後半のギャップをどう演じ分けるのか、本当に悩みました。 相手をしてくれた皆さんのおかげ、特に女役のK2のおかげでなんとか形になりました。 でもとっても楽しい役なので、チャレンジできて最高に幸せでした。
文責 : ま・ゆー
公演情報
1999/11/18(木) 京都大学 能と狂言の会
於 京都観世会館