船渡聟(ふなわたしむこ)


舅宅へ向かうため、舟に乗る聟。
「エーイ、エーイ(うう、あの聟ちゃんの持ってきた酒が飲みたいなぁ)
と、船頭は櫓をこぎます。

 

別 表 記:舟渡聟

分  類:聟女狂言 聟入り物

登場人物:聟(シテ)、船頭、舅、太郎冠者


 あらすじ

 聟入りしようと出かけた聟は、渡し船の船頭にねだられて、祝儀の酒樽を開けてしまい、しまいには空っぽにしてしまう。
 大蔵流では、そのまま舅の家に行くが、結局太郎冠者に空樽と知らされてしまい、聟は逃げ込む。
 和泉流では、その船頭が実は舅だたっという設定になっており、舅は、髭を剃って対面したものの聟に見あらわされ、面目を失う。


「さてもさても、にがにがしいことかな」
舅宅の太郎冠者により“空樽”と言うことがばれ、
恥をかく瞬間の困り顔の聟さん。

 みどころ

 「(前略)・・・私が好きなのは、竹筒(ささえ)が空になったとき、(船頭「さてさて気の毒なことで御座る」という台詞に対して)気の毒がる船頭に聟が「イヤ、そっとも苦しゅうない事で御座る」と応答するところ。
 いくら二人で楽しい時を持ったとはいえ、聟入りという一大事を抱え、祝儀に空樽をもっていくことが「苦しゅうない」はずはない。酔いが醒めれば、「酒を呑ませないんなら、船が流れたって知らない」と脅した船頭に怨み言の一つも言ってもよさそうなもの。船をおり、今日の振れ舞いに感謝する船頭に「私も良い楽しみを致いて御座る」と答え、また戻りにもこの船を利用することを約して別れて行く。自分にとって大切なものを失っても、自分も楽しんだのだから、それはそれで良かったのだと、サラリと言える気前の良さ、括淡とした様を私も身につけたいものだ。生きていくうちには様々な「良い楽しみ」に出会うであろうから。
 十月に入り、働くということが俄に現実味を帯びたとき、私は今出川の煉瓦の色が皆溶けだしたような黄昏の空気の中で、自分は今、夢の中にいると思った。この、“夢のような”暮らしとの訣別にあたっては、かなりじたばたしたものだが、結局新しい生活に身を託すことにした。力に頼まず、力を求めず、貯水槽の中にボーフラみたいに市井の人でありたいと思った。そして、おかしな力にはいつでも物申す潔さと身軽さを持っていたい。その際も決して糾弾ではなく、相手の弱さや哀しみをお腹の中で見据えながら、そこから出てくるおかしみを味わうぐらいの余裕をもって、あくまでやんわりと。
 狂言自体は、ほんの入り口に立たせてもらっただけに終わりましたが、狂言の登場人物たちは、私に一つの生き方を呈示してくれたような気がするのです。」

(平成5年度同志社大EVE能パンフレットより抜粋)

 

 公演情報


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